西暦 | 年 号 | 事 項 | 産 業 遺 産 群 |
1890 | 明治 23 | 網84kmを整える。 | (切幹木村商店対岸) |
○ 細尾峠の鉄索が日本で初めて運転を開始する(足尾〜細尾峠間延長3.9km) | 細尾索道跡 | ||
○ 細尾峠を越え、地蔵坂から渡良瀬まで馬が牽く軽便馬車鉄道で運ぶ。 | 軽便馬車鉄道跡 | ||
(神子内すかい荘先) | |||
○ 小滝製錬所が設立される。 | 広道路(小滝製錬所跡) | ||
○ 小滝小学校が創立される。 | 小滝小学校跡・新長屋跡 | ||
○ 銀山平に小滝坑員一同により、銀山平山神社を建設する。 | 銀山平山神社 | ||
(猿田彦神社) | |||
○ 水套式(すいとうしき)溶鉱炉が本山に8基、小滝に4基完成する。 | |||
○ 坑内巻揚機・ポンプの電力に水力発電をを利用する。 | 巻揚機・ポンプ | ||
○ 木造2階建て117坪の建物が建てられ、後に足尾警察署に昇格する。 | 旧足尾警察署跡 | ||
○ 日光線全線開通。 | |||
○ 渡良瀬川大洪水で、冠水した稲が腐り、桑が枯れ、渡良瀬川の魚類が死滅し | |||
足尾鉱毒による深刻な被害が発生する。 | |||
1891 | 明治 24 | ○ 銅山坑外運搬用電車が、足尾で日本最初に実用化される。 | 運搬用電車 |
○ 足尾銅山で使う鉱山機械の保守と修理のために、工作課を設ける。 | 旧工作課 | ||
○ 田中正造が国会で、足尾銅山鉱毒問題を取り上げ、大きな社会問題へと発 | |||
展して行く。 | |||
◍ 第2回帝国議会で初めて田中正造が「足尾銅山鉱毒の儀につき質問書」を提 | |||
出する。 | |||
1892 | 明治 25 | ○ 足尾〜群馬沢入間に軽便馬車鉄道が開通する。 | 片マンプ(笠松片隧道) |
○ 細尾索道に並行して第2索道を架ける。 | |||
○ 南橋に「私立足尾銅山尋常高等小学校」創立される。 | 本山小学校 | ||
○ 栃木県知事と議会の仲裁で、古河鉱業(株)と被害民の間に示談契約が | |||
結ばれる。 | |||
1893 | 明治 26 | ○ 足尾で初めてベッセマー転炉完成(世界で2番目の転炉製錬、それまで30 | ベッセマー転炉 |
日の工程が2日に短縮)する。 | |||
○ 小滝小学校は私立古河足尾銅山尋常高等小学校の小滝分校として認可さ | |||
れる。 | |||
○ 日光駅と細尾峠下の足尾銅山出張所との間に牛車軌道を敷設する。 | |||
○ 当時下都賀郡長だった安生順四郎が排水器を購入し、谷中村内の湿地帯60 | 排水器跡 | ||
haを水田化する計画を立てたが失敗する。 | |||
1894 | 明治 27 | ○ 足尾銅山消防組が結成される。 | |
1896 | 明治 29 | ○ 通洞坑、有木坑(本山坑)、小滝坑の三大坑道は竪坑で結ばれ、坑内の排水・ | 通洞坑・有木坑・小滝坑 |
通気・運搬が容易になり、足尾銅山の坑道の基本を確立する。 | |||
○ 日光と細尾間の軽便馬車鉄道が完成する。 | 軽便馬車鉄道 | ||
○ 東京・本所溶銅所内紳銅工場建設する。 | |||
○ 渡良瀬川大洪水。渡良瀬川沿岸に鉱毒水がひろがり、被害民大会が開かれ | |||
る。田中正造は被害民とともに足尾銅山鉱業停止運動を開始し、議会で鉱毒事 | |||
件について、くり返し政府に質問する(足尾鉱毒問題沸騰)。 | |||
○ 栃木・群馬両県は群馬県渡瀬村(現館林市)の雲竜寺に鉱毒事務所が設置 | |||
される。 | |||
○ 群馬栃木両県被害民から、足尾銅山停止請願などが提出される。 |