西暦 | 年 号 | 事 項 | 産 業 遺 産 群 |
1896 | 明治 29 | ○ 政府は古河市兵衛に対し、鉱毒予防工事命令を出す(第1回)。 | |
1897 | 明治 30 | ○ 第3回の予防工事命令が出され全町を挙げてこの工事を完成させる。 | |
◍ 鉱毒予防工事命令に従い、中才浄水場を建設する。 | 中才浄水場 | ||
◍ 鉱毒予防工事命令によって、間藤浄水場がつくられる。 | 間藤浄水場 | ||
◍ 鉱害防止のため脱硫塔工事・坑内水浄水中和工事・砂防予防工事等を実 | 脱硫塔工事 | ||
施する。 | 砂防予防工事 | ||
○ 新梨子堆積場は、この年にだされた鉱毒予防工事命令以前から使われて | 新梨子堆積場 | ||
いた。予防工事命令以後は選鉱採石の堆積場として使われ、終戦後この砕石 | |||
はアメリカ駐留軍の飛行場地盤安定用に使われる。現在は運動公園になって | |||
いる。 | |||
○ 鉱毒被害農民初の大挙請願運動。雲竜寺に集まる農民約3,700名上京企て | |||
る(押し出し)。反対運動は新聞に大きくとりあげられる。 | |||
○ 「足尾銅山鉱毒事件調査委員会」(第一次鉱毒事件調査委員会)設置する。 | |||
1898 | 明治 31 | ○ 日本最古の私設測候所が渡良瀬にできる。 | |
1899 | 明治 32 | ○ 古河掛水倶楽部が建築される。和洋折衷の建物は古河鉱業の迎賓館であ | 掛水倶楽部 |
る。中には国産第1号と言われるビリヤード台や、ドイツ バルトール・ベルリン社 | |||
大正13年(1924)製のピアノが保存されている。 | |||
(平成18年 国登録有形文化財・建造物) | |||
1900 | 明治 33 | ○ 銅山関係の機械類の製作・修理を行うため、間藤工場を設置する。工場には | 間藤工場 |
工作課が置かれ、新製品の開発も行い、後に足尾式三番型鑿岩機を考案する | |||
○ 第4回押し出しで川俣事件が発生する。鉱毒被害民大挙上京途上、利根川 | |||
畔で警官隊と衝突。田中正造は、議会に「亡国に至るを知らざれば之即ち亡国 | |||
の儀につき質問書」を提出、説明演説をする。 | |||
○ 田中正造憲政本党を脱退する。 | |||
1901 | 明治 34 | ○ 小滝分校は独立して、代用私立小滝尋常高等小学校となる。 | |
○ 渡良瀬発電所は間藤発電所では電力がまかないきれず、中禅寺湖を水源と | 渡良瀬発電所跡 | ||
する日光発電所完成までの、つなぎ役としてつくられる。 | |||
○ 通洞発電所が竣工する。 | 通洞発電所跡 | ||
○ 田中正造、衆議院議員を辞職。明治天皇への直訴決行する(第16回帝国議 | |||
会開院式の帰途)。『死罪覚悟して』 | |||
1902 | 明治 35 | ○ 松木村は廃村となる。 | 松木村跡 |
○ 大暴風雨(足尾台風)襲来する(死者34人、負傷者60人、行方不明者170人)。 | |||
◍ 神子内小学校が流失する。 ◍ 神橋が流失する。 | |||
○ 小滝の里碑付近から銀山平を結ぶ架空索道がかけられ、象山はトンネルで | 小滝の索道トンネル | ||
通す。 | |||
○ ウォーター・ライナー式鑿岩機を導入する。 | ウォーター・ライナー式鑿岩機 | ||
○ 「足尾銅山鉱毒事件調査委員会」(第二次鉱毒事件調査委員会)設置を閣 | |||
議決定する。 | |||
○ 政府は足尾銅山鉱毒水を沈殿させるため、貯水池建設をきめ、谷中村が候 | |||
補となる。 | |||
1903 | 明治 36 | ○ 銅山王古河市兵衛翁死去。享年72歳。 | |
○ 第3小滝発電所が新設される。 | 第3小滝発電所 | ||
○ これまでに、第5回まで鉱毒予防工事命令が出される。 | |||
○ 栃木県会は一応谷中買収案を否決したが、鉱毒事件調査委員会の調査報 |