| 西暦 | 年 号 | 事 項 | 産 業 遺 産 群 |
| 1903 | 明治 36 | 告書が政府によって帝国議会に提出され、遊水池案が公にされる。 | |
| 1904 | 明治 37 | ○ 通洞第2選鉱場が開設される。 | 選鉱場 |
| ○ 永岡鶴蔵、銅山で大日本労働同志会を組織する。 | |||
| ○ 日露戦争勃発で、鉱毒への関心はほとんどなくなり、運動は衰退する。 | |||
| ○ 田中正造、谷中村問題に専念のため同村に居住し始める。 | |||
| ○ 谷中村買収案、災害復旧費の名目で栃木県会を秘密のうちに通過する。 | |||
| ○ 野木村では野渡堀割工事の中止を要求し、古河町の農民ととも に県庁にお | |||
| しかける。 | |||
| 1905 | 明治 38 | ○ 家業と分離して古河鉱業会社を設立する。 | |
| ○ 町内に電話開通する。社宅に電灯がつく。 | |||
| ○ 現銀山平の地に、東洋一と呼ばれた製材所が開設される。 | 銀山平 | ||
| ○ 谷中村の買収を受託した村民、第1回集団移住する(約150世帯)。 | |||
| 1906 | 明治 39 | ○ 日光細尾第一発電所が建設され、日光から送られる高圧電力の変電所が建 | 細尾第一発電所 |
| 設される。 | 変電所 | ||
| ○ 日光電気精銅所が操業を開始する。 | 日光電気精銅所 | ||
| ○ 足尾は労働運動発祥の地。日本鉱山労働組合結成される。 | 大日本労働至誠会足尾支部事務所跡 | ||
| ○ 谷中村村会の否決を無視して、県は谷中村を廃し藤岡町に合併する旨告示 | |||
| [谷中村は法律上抹殺]。谷中村は廃村となり、約300世帯が移住する。 | 谷中村跡 | ||
| 1907 | 明治 40 | ○ 足尾銅山暴動事件おこる。坑夫が職員と衝突し、警官約600人のほか高崎歩 | |
| 兵連隊3個中隊約380人も出動し鎮圧する。坑夫約460人が逮捕される。 | |||
| ○ 谷中村に瀦水池(ちょすいち)を設置するため、買収に土地収用法が適用さ | |||
| れる。 | |||
| ○ 6月29日から7月5日までの7日間にわたって、最後まで抵抗していた谷中村 | |||
| 残留民16戸を強制破壊する。 | |||
| ○ 藤岡町・生井村ほか6ヵ町村で堤防拡築の請願いれられず宇都宮へおしかけ | |||
| る。 | |||
| ○ 荒畑寒村、『谷中村滅亡史』発行。発禁となる。 | |||
| 1908 | 明治 41 | ○ 足尾キリスト教会が建てられる。 | 足尾キリスト教会 |
| ○ 本山三養会発足する(現在の生活協同組合)。 | 三養会跡 | ||
| ○ 日光電気軌道株式会社創立する(出資は日光町と古河鉱業)。 | |||
| ○ 足利郡久野・筑波・梁田・御厨村で水利組合の分離を要求し、郡役所へおし | |||
| かける。 | |||
| ○ 夏目漱石が足尾銅山に遊び『坑夫』を発表。 | |||
| 1909 | 明治 42 | ○ 花柄北部の西側山手に真宗大谷派の専徳寺が設けられたが、昭和29年 | 専徳寺跡 |
| (1954)、小滝の銅山社宅撤収で廃寺になる。 | |||
| ○ 宇都野に、レンガ造り1棟、御影石造り3棟の火薬庫、他に雷管庫がつくられる。 | 宇都野火薬庫 | ||
| (平成19年 国史跡に指定) | |||
| ○ 長屋30棟、飯場3棟がつくられ、銀山平長屋と呼ばれた。 | 銀山社宅跡 | ||
| ○ 寒川村中里・迫間・部屋村新波・白鳥で堤防築造につき境村と紛争になる。 | |||
| ○ 生井・部屋・寒川・赤麻村・藤岡村で渡良瀬川改修工事案に反対する。 | |||
| ○ 芥川龍之介、中学校の修学旅行で、日光周辺や足尾銅山の工場を見学し | |||
| 『日光小品』を発表する。 | |||
| 1910 | 明治 43 | ○ 電灯会社ができ、町全体に電灯がつく。 | |
| ○ 古河鉱業により細尾第二発電所、発電開始する。 | 細尾第二発電所 |