西暦 年 号  事                       項  産 業 遺 産 群
       
1917  大正   ○ 専売支局・足尾銅山など、物価騰貴のため職工・鉱夫の日給を2〜5銭増額  
     する。  
    ○ 原堆積場は、坑内から掘り出された廃石や、砕いた廃泥を堆積しておく場所  原堆積場
     として昭和35年(1960)まで44年間使われる。  
    ○ 吾妻村長、旗川ならびに渡良瀬川改修工事急施願を県知事に提出する。  
    ○ 谷中村強制破壊から10年におよぶ反対運動を断念する。  
1918 大正  7 ○ 足尾鉄道が国有鉄道となる。  
    ○ 古河鉱業株式会社設立される  
    ○ 吾妻村長、才川樋門工事に関する陳情書を渡良瀬川改修事務所に提出す  
     る。  
    ○ 渡良瀬川の新川通水。  
1919 大正  8 ○ 大日本鉱山労働同盟会結成される。労働争議が起こり、飯場制度が改革さ  大日本鉱山労働同盟会
     れる。  
    ○ 排煙から微粒金属を除去する、電気集塵機の実験を日本で初めて行い、実  研究課
     用化する。  
    ○ 溶鉱炉を反射炉に切り替える計画のもと、大煙突が建てられる。(高さ46m、  製錬所大煙突
     直径下部5.7m、上部3.8mのコンクリート製の煙突である)。  
1920 大正  9 ○ 簀(す)の子橋にあった山神社をここへ遷座し、通洞鉱山神社として祀る。  通洞鉱山神社
1921 大正 10 ○ 足尾銅山でストライキ発生。400名が参加する。  
    ○ 足尾で栃木県内で初のメーデー・麻生久・佐野学・三宅正一ら参加する。  
     (2,000人以上が行進)。  
    ○ 船津川代表者、秋山川河口変更の陳情書を提出する。  
    ○ 元谷中村遊水池の貸付問題で藤岡町民と旧谷中村民が萱刈取 をめぐって  
     紛争する。  
    ○ 藤岡町会は旧谷中遊水池を谷中村残留民に貸下げることを決定する。  
1922 大正 11   渡良瀬遊水地完成する。  渡良瀬遊水地
1923 大正 12   思川改修工事完成する。  
      秋山川の新川付替工事完成する。  
1924 大正 13 ○ 足尾銅山体育館を建設する。  
    ○ 古河鉱業(株)により馬道発電所、発電開始。華厳ダム建設する。  馬道発電所・華厳ダム
1926 昭和  1 ○ 馬車鉄道を廃止して、ガソリン軌道車に転換する。  
      渡良瀬川改修工事竣功する。   渡良瀬川改修工事
1927 昭和  2   足尾町、町道松原田元線 田元橋(渡良瀬川)完成する。  
      渡良瀬川全川の砂防計画の中で、足尾ダムの建設が計画される。  
1928 昭和  3   菊沢川筋水害予防組合で初めて排水機を設置する。  
1929 昭和  4 ○日本を代表する明治新政府の外相、陸奥宗光の別邸を神奈川県大磯からこの  豊潤洞
     地に移築し、「豊潤洞」と命名する。  
1931 昭和  6   渡良瀬川改修{M43〜S1}に伴い、支川の旗川・秋山川・巴波川・思川の改  
     修が実施される。  
1932 昭和  7 ○ 才川改修工事をめぐり吾妻・植野両村対立する。  
1933 昭和  8 ○ カーバイト工場が廃止されたこの地に、古河足尾銅山実業学校が、本山小学 足尾実業学校(足尾高等学校)
     校から移転する。後に栃木県立足尾高等学校となる。  
1935  昭和  10 ○ 古河鉱業(株)により上の代発電所、発電開始する。  
    ○ 渡良瀬橋は鋼製橋からコンクリートアーチ橋に大改造される。  渡良瀬橋


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