西暦 | 年 号 | 事 項 | 産 業 遺 産 群 |
1935 | 昭和 10 | ○ 旧栃木平橋完成する。 | |
○ 日光細尾峠の道路改修する。 | |||
1936 | 昭和 11 | ○ 細尾第一・第二発電所を合併し、細尾発電所となる。 | 細尾発電所 |
◍ 現在も昭和10年製作のペルトン水車が保存されている。 | ペルトン水車 | ||
○ 利根川流域諸県による治水運動活発になる。 | |||
1937 | 昭和 12 | ○ 古河鉱業(株)の細尾発電所、馬道ダム建設する。 | 馬道ダム |
1939 | 昭和 14 | ○ 第3有越索道2,700mが、大峰まで架けられる。現在はロープがはずされ、2本 | 有越索道塔 |
の塔だけが残っている。 | |||
1940 | 昭和 15 | ○ 戦時体制強化で国内労働力不足の補充として、朝鮮人労働者を使う。 | |
○ 足尾町で大火43戸全焼する。 | |||
1941 | 昭和 16 | ○ 渡良瀬川改修工事始まる。 | |
1942 | 昭和 17 | ○ 足尾製作所が鉱業所から独立する。 | |
○ 連合軍の捕虜収容所が建てられ、オランダ兵やイギリス兵が収容される。 | 捕虜収容所跡 | ||
○ 大鹿卓、田中正造をえがいた小説『渡良瀬川』を発表。翌年新潮賞を受ける | |||
1944 | 昭和 19 | ○ 中国人が強制連行され、中国人捕虜収容所「興亜寮」に収容される。 | 爺ヶ沢(興亜寮跡) |
1945 | 昭和 20 | ○ 日本が連合国に無条件降伏。中国人、朝鮮人の争議が起こる。 | |
○ 終戦後衣食住が極度に窮乏し、足尾銅山労働組合同盟会結成される。 | |||
1947 | 昭和 22 | ○ カスリーン台風で大被害。足尾線復旧までに1ヶ月半かかる。 | |
1948 | 昭和 23 | ○ 日本初の重液選鉱法を取り入れる。 | |
1950 | 昭和 25 | ○ 朝鮮戦争勃発で、非鉄鉱山好況に、足尾銅山再建整備計画が発表される。 | |
○ 足尾橋が完成する | |||
○ 足尾高校が県立高校になる。 | |||
1951 | 昭和 26 | ○ 渡良瀬遊水池浚渫事業に着手する。 | |
1952 | 昭和 27 | ○ 「コウシンソウ」が特別天然記念物に指定される。 | |
○ 現在見える仁田元沢水管橋は長さ144m、直径1mに架け替えられる。 | |||
1953 | 昭和 28 | ○ 町内3つの中学校が統合され、足尾中学校となる。 | |
1954 | 昭和 29 | ○ 小滝坑が廃止され、小滝に住むほとんどの人が移転し、銅山社宅は撤収され | |
る。 | |||
1955 | 昭和 30 | ○ 足尾ダム完成する。別名「三川合流ダム」ともいい、東洋一の砂防ダムである。 | 足尾砂防ダム |
○ この時点で足尾銅山の煙害による裸地3,000ha、激害地1,400ha、中害地 | |||
2,900ha、微害知8,000haで、荒廃地はおよそ15,300haに及んでいる。 | |||
(営林署の資料) | |||
1956 | 昭和 31 | ○ 自熔製錬法を導入し、日本初の完全無公害銅製錬が完成する。 | |
(世界で2番目)。 | |||
1957 | 昭和 32 | ○ 足尾銅山による荒廃裸地の緑化について、林野庁、建設省(現国土交通省) | |
栃木県の三社による今後の緑化事業の協議がなされる。(今日まで治山事業及 | |||
び砂防事業による公共事業が実施されている) | |||
1960 | 昭和 35 | ○ 簀小橋ダム完成する。 | |
○ 足尾小学校が全焼。 | |||
1962 | 昭和 37 | ○ 古河電工、全日本アイスホッケー選手権大会で優勝。NHK杯・国体と三冠王 | |
を実現する。 | |||
○ 足尾銅山危機突破町民大会開催。町民と銅山関係職員700人参加する。 | |||
○ アメリカ軍、群馬県太田大泉飛行場の代替地として赤麻遊水池を演習場とし | |||
て要求。藤岡町で赤麻遊水池基地化反対期成同盟会を結成する。 |