中橋


バランスのよい3連アーチは、巨大な鉄骨の芸術そのものの魅力
(足利のシンボルとして市民に親しまれています)
 足利市を代表する景観として定着した中橋は、渡良瀬川を挟み南北に分かれた市街地を結んでいます。橋の中央部に下路ブレースドリブタイドアーチが三つ並ぶ姿は、川面に映える緑色のイルミネーションがつけられ、渡良瀬川公園・中橋緑地と共に市民の憩いの場所となっています。
 中橋は、昭和11年(1936)に完成しましたが、この形式は19世紀末のドイツで生まれました。記録としては、明治27年(1894)のベルリンの施工例が一番古く、20世紀初頭のドイツで、鉄道橋・道路橋の別なくブームといってもよいほど大量に用いられました。
 その後各国に伝わり、日本でこの形式がはじめて採用されたのは、大正3年(1914)完成した東京品川の東海道本線の上にかかる跨線橋の八ツ山橋です。続いて多摩川の六郷橋や「東京の北の門」千住大橋も同じ形式のものです。
 現在、この橋の位置が河岸の堤防より低いことから、平成10年(1998)夏の那須水害を契機に、水害防止の観点から架け替えの必要性が指摘されています。


川面に映える赤と緑光のイルミネーション

堤防を切り下げて架かっている中橋 

 心のふるさと、渡良瀬川は、洪水被害というもうひとつの足利の街の歴史でもあり、防災上中橋の架け替えは急務であり、平成14年(2002) 11月中橋整備検討委員会準備会が発足し、新橋の完成イメージ模型が示され、住民からはさまざまな意見が出ましたが、国、県、市と地元住民のコンセンサスを得て、早期実現を期待します。
 一方、中橋の架け替え時期を迎え、足利工業大学の学生による[足利の『ヴェッキオ橋』]の構想や、現橋の景観を残した計画が提案されていますが、いずれも現行の関係法令では、実現が難しいと思います。
 しかし、問題提起のヒントとして評価できます。
【注】ヴェッキオ橋は橋の上に貴金属店などが立ち並ぶ、イタリア・フィレンツェの一大観光スポットです。

(栃木県橋梁現況調査表

渡良瀬川の氾濫


激しい流れの中、命綱を頼りに避難する人々(通二丁目)
(カスリーン台風写真集)
カスリーン台風
 
昭和22年(1947) 9月に発生したカスリーン台風は、同15日に房総半島の南側を通過し、北海道南東海上に去りましたが、全国各地に惨禍をもたらし、足利市では渡良瀬川、袋川が決壊氾濫し、濁流はたちまち足利の街をのみ込んでしまいました。    
 住宅や工場が跡形もなく、田畑は濁流にえぐられて深い沼に変わり、河原は死体の山に。9月19日付けの下野新聞は「街の中央だったところが渡良瀬川の支流となった」と足利の惨状を報じました。死者252人、行方不明者67人、被災者68,000人、家屋流失372戸、家屋全壊328戸、家屋半壊257戸、床上浸水11,976戸、床下浸水5,773戸、田畑の浸水2,558haなどと空前の被害となりました。                (足利市消防調べ)
所 在 地    足利市通二丁目・南町(渡良瀬川)
管 理 者    栃木県
建設時期   昭和11年(1936) 完成
用途・目的   道路橋(主要地方道 足利千代田線)
規   模    橋長・幅員:295.10m×11.00m
                (車道 7.00m+歩道 2×2.00m)
         支間割:@ 65.70m+65.30m+65.70m
               A 9×10.00m
         形式:上部工 @下路ブレースドリブ・
                    タイドアーチ橋(3連)
                    A鉄筋コンクリート単純桁橋
             下部工(橋台) 逆T式
                  (橋脚) RCラーメン

         案 内 図

参考文献
近代足利市史・足利市史編さん委員会
鉄の橋百選(近代日本のランドマーク)・成瀬輝男


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