市の堀用水(旧取入口跡)


 満開の桜堤。明治百年記念事業として、旧取入口跡に記念碑建立(昭和43年12月18日)
 宇都宮藩高根沢の桑久保村(現桑窪)・柏崎村・土室村(現飯室)周辺は、水不足で開田も難しかったため、宇都宮藩士山崎半蔵は藩命により水量豊かな鬼怒川からの用水路を計画し、途中経路の喜連川藩の了解を取り、正保3年(1646)市の堀用水の開削工事に着手し、10年の歳月をかけて明暦2年(1656)に完成しました。大正8年(1919)には芳賀郡まで用水路が延長されました。
 用水路の維持管理には幾多の困難な問題が発生し、関係の村々をもって構成された用水組合が結成され、水の確保をしてきました。
 大正12年(1923)に完成した取入口樋門は、当時としては県内唯一の固定樋門といわれ、洪水に堪え、地域の田畑はもちろん、住民を水害から守り通してきましたが、昭和42年(1967)その使命を果たして姿を消しました。
 現在の取入口は、国営鬼怒川中部農業水利事業により、昭和37年(1962)に塩谷町佐貫地内に建設された、佐貫頭首工によって鬼怒川から取水し、風見で発電に使用された後、松川を経て旧市の堀用水路に流入し、氏家町・高根沢町・芳賀町・市貝町・真岡市と県中央部の穀倉地帯をうるおす大用水路です。




 (左)現在の鬼怒川取入口。佐貫頭首工
        
(背景は佐貫の観音様)
コンクリート固定堰
堤高3.35m・堤長123.00m
転倒ゲート 2門
洪水吐 1門、 土砂吐 2門
取水水門 6門
最大取水量 42㎥/s
  佐貫石仏[磨崖仏](通称「佐貫の観音様」)
 指定:大正15年(1926)2月24日 国指定史跡
 所在:塩谷町大字佐貫797
 所有:東海寺
 概要:像高 約18.2m(顔面の長さ約3m, 幅約1.64m)
現在の松川取入口 大正12年(1923)に完成した取入口樋門 (市の堀)
着物姿が懐かしい 
構造:石及びコンクリート造
高さ: 2間2尺(4.242m)
長さ: 11間半(20.909m)
幅  : 4間4尺(8.485m)
大正12年完成 


三百年供養碑 
(高根沢町亀梨、量山寺境内)

 山崎半蔵により開削された市の堀は、明暦2年(1656)完成以来三百年を迎えることになり、氏の頌徳にむくいるため記念碑を建立すると共に、「三百年祭」を執行しました。(昭和31年1月24日)


案 内 図

所 在 地  
管 理 者  
建設時期 




用途・目的
規    模
塩谷町大久保(旧取入口跡・鬼怒川)
鬼怒川東部土地改良区
明暦 2年(1656) 完成
大正 8年(1919) 芳賀郡まで延長
大正12年(1923) 取入口樋門新設工事完成
昭和39年(1964) 佐貫頭首工完成
昭和40年(1965) 松川放水門完成
創設当時:開田
現在の取入口: 松川放水門( 松川から 取水している)
          鋼製魚腹型自動転倒ゲート
          扉高 1.70m 径間 14.00m
          取水量 23.449㎥/s

参考文献
栃木県大百科事典・栃木県大百科事典刊行会
栃木県土地改良史・栃木県土地改良事業団体連合会
「市の堀」 市の堀用水沿革史・石山憲三
塩谷町の文化財・塩谷町教育委員会事務局社会教育課


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