観象台跡跡

日本の近代測量発祥の地
◇ここから近代測量始まる◇
 畜産草地研究所の正門左側に、高さ1m足らず、直径2mほどの円形の塚があります。「観象台跡」と呼ばれるこの塚は、ここから大田原市親園上ノ原へ引いた一本の直線。日本の近代測量は、この直線の長さを精密に求めることから始まりました。この直線は「基線」と呼ばれ、三角測量の基準の長さとなるものです。
 観象台は、三角測量の基点として選定されたもので、明治9年(1876)にイギリス人マクウェンの指導のもと、基線場の標高を求めるために、東京塩釜間の水準測量を実施し、明治11年(1878) 4月から2ヶ月間で基線測量(2回)が行われました。その結果10,628.310589mを測定。基線尺は米国製ヒルガード式基線尺が使用されました。
 もう一方の観象台南点跡は、一面草におおわれて測量用の基石は確認できませんでした。
 この区間を結んで開拓道路がつくられ、通称縦道と呼ばれ、現在はライスラインの一部となっています。


縦 道=10,628.310589mを測定

測量位置図            縮尺=1:150,000
ヒルガード式基線尺
土盛りの中より現れた北点の石室
 [観象台跡発掘記録(西那須野町郷土資料館 紀要第2号)]
南点発掘記録図(品川弥三氏 所蔵)
 [観象台跡発掘記録(西那須野町郷土資料館 紀要第2号)]
南点位置:大田原市親園上ノ原



所 在 地 
管 理 者 
測量時期 
用途・目的      
那須塩原市千本松
那須塩原市
明治11年(1878) 4月9日〜6月11日
三角測量の基線測量
案 内 図
参考文献
西那須野町郷土資料館 紀要第2号・西那須野町郷土資料館
那須野が原ガイドブック・石ぐら会(ボランティアグループ)

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