鬼怒川橋梁


 朝日に輝く鉄橋。背景には日光のシンボル、男体山(2,486m)や女峰山(2,483m)が連なって見えます。
 東北本線は、宇都宮以北の線路敷設について、おおかたの予想は陸羽街道に沿って敷設されると思われましたが、予想に反し那須野ヶ原を縦断することになりました。
 工事は明治19年(1886)に着工しましたが、最大の難所は鬼怒川架橋でした。西鬼怒川橋梁は明治19年12月に完成し、東鬼怒川橋梁は明治20年(1887) 1月に完成しました。
 しかし、たびたび起こる水害で不通になることが多く、永久的な安全運行を確保するため、明治28年(1895)に路線変更の工事を開始し、新たな鉄橋を架けるにあたり、従来の東・西鬼怒川の2川に架橋するのではなく、被害を最小限にするため、東西両川が合流する地点より下流に移して、94フイート6インチ(28.8m)の鉄桁8個と50フイート(15.24m)の鉄桁1個を架け、明治30年(1897) 2月25日に今日の路線が開通しました。
 現在の橋は大正 6年に架け替えられた2代目のもので、上り線21連中の10連が100フイートの単線ポニーワーレントラスと11連が鈑桁の混合橋ですが、この種のポニーワーレントラスは、当時の鉄道各線に標準トラスとして、製作・架設されています。
 日光連山をバックに鬼怒の清流に影を映す力強い姿は暴れ川の歴史を語っています。


隅石飾りと三角水切りの付いた端正な煉瓦造の橋脚
橋脚図
(JR東日本渇F都宮保線区 提供)




 古田駅地方のうっそうと茂る森の中に続く小道は、旧線跡といわれています。

 
西芦沼にある八滝神社の南で小川を渡っていた鉄橋の煉瓦積橋台。これが唯一の遺構になっています。

宇都宮〜矢板間路線変更図

 宇都宮駅を出た現在線は、すぐカーブして北東に進路をとりますが、旧線は白沢街道(旧奥州街道)と御用川の間を北北東にのびていました。
所在地      高根沢町宝積寺・河内町東岡本(鬼怒川)
管理者      JR東日本
建設時期    明治19年(1886)10月1日開通
              {宇都宮〜那須(現西那須野)間}
          路線変更 明治30年(1897)2月25日開通
          大正6年(1917)架け替え
              {大正4年(1915) 製作}
用途・目的    鉄道橋[東北本線(愛称・宇都宮線)  
                岡本〜宝積寺間]
規   模    橋長・単複の別:482.90m 単線(上下線複線)
          径間数・支間長:@ 10×29.67m、
                     A 9×16.00m+2×12.90m
          形式:上部工
                  @下路平行弦ポニーワーレントラス 橋
                  A 上路鈑桁橋
              下部工 基礎コンクリート造
                   煉瓦粗石造

案 内 図


参考文献
JR東日本の歴史的建造物・JR東日本歴史的建造物調査委員会
歴史的鋼橋集覧(第一集)上巻 鉄道橋編・土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会
栃木県鉄道史話・大町雅美
鉄道廃線跡を歩く W・宮脇俊二


目次に戻る 次は黒川橋梁へ