黒川橋梁

那須連山をバックに橋上を疾走する、北斗星ニセコスキー号
 日本鉄道会社は、明治19年(1886) 3月に宇都宮・白河間の工事に着手し、黒磯から白河までの16マイル (25.7q)は、明治20年(1887) 7月に開通しましたが、急勾配のうえに曲線が続き、黒川沿いに曲がりながら走るため速力は出ず、所によっては殆ど徒歩同然の状態でありました。
 その後、第一次世界大戦が勃発した大正3年(1914)頃から陸上輸送が大幅にふえて、輸送上大きな障害となってきたため、大正4年(1915)に路線変更の工事に着手しました。
 新設線は黒磯より直線的に進み、黒田原駅を北に移し、これより那須火山の山腹沿いに切取、築堤をしつつ、豊原駅を丘陵の中腹に移しました。
 黒川には鉄塔橋脚を有する大橋梁(黒川橋梁)を架けて頂点を白坂駅近くにして、緩勾配で白河駅に達しました。工事は大正9年(1920) 11月に切り替えられ終了しました。旧ルートは大部分が県道に編入されて旧東北本線の面影を今に残しています。
 黒川橋梁は上路トラスのため、那須連峰をバックに橋上を疾走する列車の光景に魅了され、鉄道マニアの写真撮影場所になっています。


 背の高い長方形の切石造橋脚きわめて入念に、しっかり造られ、力学的にも安定した力強さが感じられます。

橋 脚 図


(JR東日本轄譜髟ロ線区 提供)

          (栃木県鉄道史話)

黒磯機関車庫
(明治32年(1899)〜33年ごろ)
満開の桜並木
県道 豊原高久線として残っている旧線路敷
 豊原駅近くの黒川を渡っていた、旧線の煉瓦造橋台
 
平成12年度、黒川災害復旧助成事業により撤去しましたが、余笹川流域河川改修事務所の粋なはからで近くの成沢川岸公園に移設保存されています。

成沢川岸公園  (平成13年(2001)3月完成)


案 内 図

所 在 地    
管 理 者     
建設時期   

用途・目的
規   模     
那須町豊原甲・福島県(黒川)
JR東日本
明治20年(1887)7月16日開通(黒磯〜白河間)
路線変更 大正 9年(1920)11月10日開通
鉄道橋(東北本線、豊原〜白坂間)
橋長・単複の 別:333.70m 単線(上下線複線)
径間数・支間長:7×47.05m
形式:上部工 上路平行弦ワーレントラス橋
     下部工 切石造
参考文献
JR東日本の歴史的建造物・JR東日本歴史的建造物調査委員会
栃木県鉄道史話・大町雅美

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