126年の歴史を刻む宇都宮女子高校のシンボルの一つ「操橋」
[明治8年(1875)10月栃木女学校(宇女高の前身)創立]
 塩谷町出身で日本作曲家協会長の船村徹さんが、宇都宮女子高校にある小さな橋をテーマにした「操橋」を作曲し、話題になりました。
 操橋は、同校の正門を入るとまもなく、校内を流れる新川に架けられた幅約6mの、美しくまた堅牢無比な御影石で造られた橋です。登下校時には生徒が必ず通る、同校のシンボルの一つになっています。卒業生が母校を偲び、女学生時代に思いをはせる時に必ず出て来るのがこの橋です。
 橋の名は、「貞操の念を思い浮かべて、思想の健全なる発展」を願って付けられたといわれています。
 初め木造の橋でしたが、長年の風雪のため老朽化が進み架け替えの時期に、明治大帝が崩御なされ、やがて大正天皇の御大典があげられることになりましたので、御大典事業として、永劫不朽の材を用いて優美に建造しようとの声が高まり、県当局の賛同を得て、生徒の父兄・同窓会・生徒とあいはかって架け替えの運びとなり、大正4年(1915)10月31日創立40周年記念式をあげた日に、北川栃木県知事夫妻を先頭に、来賓・職員生徒一同盛大に渡り初めの式を挙行しました。
 現在の橋は、新川河川改修工事に伴い、昭和61年(1986)に復元されたものです。


登下校時に必ず通った卒業生の思い出の橋

      重厚のある御影石の高欄

所 在 地         宇都宮市大寛2丁目・操町(新川)
管 理 者         栃木県立宇都宮女子高等学校
建設時期        大正 4年(1915)10月31日完成
              昭和61年(1986)現在の橋完成
用途・目的        道路橋(校内専用橋)
規   模        橋長・幅員:2.90m×5.86m
              形式:外観アーチ形の床版橋(当時大谷
              石であったが、コンクリートで改築)
              高欄:御影石(解体復元)

津金沢弘子氏書

 平 面 図



             側 面 図



(宇都宮市下水道部河川課 提供)

案 内 図


参考文献
90年史 栃木県立宇都宮女子高等学校・栃木県立宇都宮女子高等学校90年史編集委員会


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