那須疎水(取入口)


那須野ヶ原開拓のシンボル(整然とした切石布積の石組水門)
昭和4年3回目の取入口(第3次取入口)

(「黒磯の昔をたずねる会」作成)
 那須疏水は、印南丈作、矢板武らの尽力により、明治18年(1885) 9月、那須野ヶ原大農場の飲用・かんがい用として完成しました。
 安積疏水(福島県)、琵琶湖疏水(滋賀県・京都府)と並んで日本三大疏水の一つに数えられています。
 取入口は那須塩原市(旧黒磯市西岩崎)の那珂川で、千本松(旧西那須野町)まで約16.2kmが本幹水路であり、分水路は黒磯に2本、西那須野に2本あって、第1~第4分水と呼ばれています。赤松林の自然の中を流れる疏水は、現在も昔の面影を残しています。
 この取入口は、これまで大きく4回改築されています。いかに取入口の維持が大変であったことがわかります。
 現在の「西岩崎頭首工」は、昭和42年(1967)から始まった那須野ヶ原総合開発(国営那須野原総合農地開発事業)により、昭和51年(1976)に近代化されました。
 その近くにある古い門扉や水路トンネルなどは使命を果たして、昔のままの姿で日本の近代化の歴史を誇るごとく、明治時代中期の近代化に貢献した土木遺産として保存されています。特に、第3次取入口には開閉のできる石組の水門が造られ、この取入口水門が那須野ヶ原開拓のシンボルとなっています。
 国の文化審議会は平成18年(2006)4月21日、日本三大疎水の一つである「那須疎水」の旧取水施設を国の重要文化財に指定するよう小坂文部科学相に答申しました。指定されれば、県内で近代化遺産の建造物が国の重要文化財に指定されるのは初めてです。


昭和51年 現在の西岩崎頭首工完成(第4次取入口)

重厚な石ポータル取入口
明治18年最初の取入口(第1次取入口)
(西那須野町郷土資料館)
明治38年2回目の取入口
(第2次取入のトンネル入口の巻上げ水門)

(「黒磯の昔をたずねる会」作成)

所 在 地     那須塩原市西岩崎 (取入口・那珂川)
管 理 者     那須野ヶ原土地改良区連合
建設時期    明治18年(1885) 9月15日第1次取入口通水
          明治38年(1905)11月 8日第2次取入口通水
          大正 4年(1915)夏旧取入口に戻す
          昭和 4年(1929) 6月20日第3次取入口完成
          昭和51年(1976) 4月24日現在の西岩崎頭首工
                           完成(第4次取入口)
用途・目的    創設当時・開田及び飲用水
規    模    現在の頭首工・コンクリート・フローテングタイプ
                    堤高3.05m 堤長 89.00m
                    取水量 8.94㎥/s

案 内 図

参考文献
栃木県土地改良史・栃木県土地改良事業団体連合会
明治の開拓と那須疎水 水は荒野をうるおす・西那須野町郷土資料館
那須野ヶ原の疎水を歩く・黒磯の昔をたずねる会

那須野が原歴史探訪・石ぐら会(ボランティアグループ)

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