日光第二発電所

全国三番目に古い歴史ある水力発電所
 日光第二発電所は、明治26年(1893)に当時の日光電力㈱により建設された水力発電所で、営業用としては琵琶湖疏水の蹴上発電所、箱根電灯の発電所について、全国三番目に古い歴史ある水力発電所です。
 その後の経営、および設備は幾多の変遷を経て110 年余の歴史をきざみながら今なお運転を続けています。現在は、東京電力日光第二発電所と改め、当社の県内水力発電所は22個所ありますが、その中で最も古い発電所です。全国では関西電力蹴上発電所(京都)に次ぐ伝統を誇っています。
 大谷川からの取水堰堤は洪水のたびに流失するため、大正 5年(1916)に最新型の複筒式ローリングゲートが建設されました。太平洋戦争末期には皇太子だった天皇陛下が田母沢御用邸に疎開し、大勢の人がゲートを巻き上げているのを、興味深くご覧になられたと伝えられています。
 創業当時の発電設備は何一つ残っていませんが、ドイツのフォイト社が明治41年(1908)に製造したフランシス水車は、ケーシングが球状をし、恰好が茂林寺の「文福茶釜」によく似ていることから「文福茶釜」と愛称され、昭和54年(1979)に撤去されるまで70余年間運転を続けました。現在は、「水と電気の科学館」東電TEPCO鬼怒川ランドに展示保存されています。

全 景
水 槽

排砂路
練石積及びコンクリート造
高さ: 4.25m
長さ: 57.32m
幅  : 7.50m
余水吐越流長:10.50m
鋼製ローラーゲート: 2門



文福茶釜
文福茶釜形の水車(横軸二輪単流横口双子フランシス水車)
 この水車は、明治41年(1908)ドイツのフォイト社で製造されたものです。
 以来70余年、日光第二発電所において運転を続け、この間に約3億キロワット時の発電をしましたが、昭和54年(1979)発電所改造工事により撤去されました。





水神宮
 この社は、日光電力の創立者である小久保六郎が事業の安泰を願い建立したもので、総欅造り、屋根は銅板葺で鞘堂内に鎮座しています。そのほか石灯籠、鳥居、手洗鉢なども備え、発電所の水神宮としては立派なものです。


当時皇太子が興味深くご覧になられたゲート


(左)大谷川ダム
重力式コンクリートダム
堤  高 : 3.038m
堤 頂 長 : 25.00m
ローリングゲート: 長さ17.323m
         外径 1.219m
         2段式 1門
大正 5年(1916)建設
所 在 地
管 理 者
建設時期
用途・目的
規   模



日光市匠町
東京電力㈱
明治26年(1893)10月発電開始
水力発電
形式:水路式
発電所最大出力: 1,400kw
最大有効落差  : 24.65m
最大使用水量  : 6.68㎥/s


案 内 図


参考文献
栃木支店 水力発電史・東京電力(株)栃木支店水力発電史編集委員会
とちぎの電力・東京電力(株)栃木支店

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