二宮堰

 文化遺産として保存された二宮堰と親水公園
 二宮尊徳が手がけた用水事業の一つで、尊徳のもとに吉良八郎が工事監督にあたり、嘉永5年(1852) 9月徳次郎六郷用水(石那田堰)が完成しました。さらに南方の宝木地区まで水を引くため、安政2年(1855)徳次郎用水の取水口より開削工事に着手しました。
 しかし、翌3年(1856)尊徳の死などにより工事の中断もありましたが、安政6年(1859) 6月吉良八郎の監督のもとに宝木用水が完成しました。この宝木用水の取水堰を「二宮堰」と呼んでいます。
 かっては、宝木用水の出発点として重要な役割をはたしていましたが、今でも、水の勢いを弱める工夫が施された田川からの水の取り入り口や、木材を利用した水門、玉石積みの護岸などの一部が残っており、当時の設計技術の優秀さを伝えています。
 現在は、田川の河川改修工事によって役目は終わりましたが、尊徳の偉業を後世に引き継ぐため、二宮堰部分の復元を行い、周辺一帯を整備し貴重な文化遺産に触れることのできる親水公園になっています。
 蛇足ですが、この宝木用水は宇都宮市街地の西寄りを流れる新川の名で親しまれています。


明治時代の宝木堰

河川改修工事前の二宮堰
[「二宮翁五十年祭紀年帖」二宮尊徳翁五十年祭奉行会、
明治39年より(二宮尊徳と報徳仕法)]


現在は二宮堰を復元し、周辺一帯の整備を行い、公園化されています。             (目で見る富屋の歴史)

(河川工作物調書)

当時の工法による石組の暗渠


石那田堰の際にある金次郎の像

 一家離散のなかで、寸暇を惜しんで勉学に励む金次郎の幼少の頃の像は、かっては全国のどこの小学校でも見られた姿です。
案 内 図


所 在 地   管 理 者   
建設時期   
用途・目的
規   模     
宇都宮市徳次郎町(田川)
宝木用水組合
安政 6年(1859) 6月完成
かんがい用水
コンクリート固定堰
(高さ 1.0m・長さ 15.5m・幅 1.0m)
大谷石取水堰
(高さ 0.5m・長さ 4.7m・幅 0.6m)
最大取水可能量 3.2㎥/s
現取水量 2.6㎥/s
参考文献
二宮尊徳と報徳仕法・栃木県立博物館
目で見る富屋の歴史・富屋史研究会
日曜散歩 うつのみやの歴史再発見・塙 静夫

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