日本最大の遊水地(谷中村を覆うハート型の谷中湖)     
(国土交通省 利根川上流工事事務所 提供)
面   積  :約 4.5 k㎡
形   式  :掘込式貯水池
総貯水容量:2,640万㎥
(栃木県庁本館を1マスにすると約170ハイ分になります)
平成 2年(1990)完成
 渡良瀬遊水地は、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県の県境にまたがる面積33k㎡(東京ドームの約700倍)の日本最大の遊水地です。
 この遊水地は、明治23年(1890)の洪水以後、渡良瀬川沿岸は、足尾銅山の鉱毒被害を受け、大きな社会問題となり、鉱毒防止対策と利根川・渡良瀬川の治水を目的に、谷中村を移転し、明治43年(1910)から大正11年(1922)にかけて藤岡町の台地を開削して渡良瀬川を赤麻沼に流し、思川・巴波川の改修も行って築造されました。
 現在のハート型の谷中湖(渡良瀬貯水池)は平成 2年(1990)渡良瀬遊水池総合開発事業によって建設したもので、洪水調節だけでなく、首都圏への都市用水の役割も果たしています。水面をわたる風や陽ざしに輝く緑は自然そのもので、さまざまなアウトドア・スポーツに格好の地となっています。
 しかし、かってここには、日本の公害闘争の原点といわれる足尾銅山鉱毒事件の犠牲となった、谷中村廃村の歴史が刻み込まれています。役場跡・雷電神社・延命院など、秋になると寺院跡にはきまって赤い彼岸花が咲き、旧谷中村の史跡をとどめています。村の存続をめぐって、命をかけて闘いつづけた田中正造翁の遺徳がしのばれます。
 今年、平成18年(2006)7月1日は、国が足尾銅山鉱毒問題の解決と洪水対策を目的に、谷中村周辺の遊水地化を進めるため、農民から土地を買収し、谷中村を藤岡町に強制合併され廃村となってから、ちょうど100年になります。当時の谷中村は370戸、約2500人が暮らす村の約半分は原野で、漁業なども盛んでありました。廃村後も16戸の村民は田中正造と村に残り抵抗を続けた歴史があります。1世紀が経て、見渡す限りヨシなどが生い茂り、貴重な動植物が数多く生育、生息し自然の宝庫となっていることから、渡良瀬遊水地を「ラムサール条約」に登録しようという動きもあります。
 一方で国土交通省は、新たな治水事業を進めるため、第2調節池を掘削する計画をもっており、自然保護の観点から、計画に反対する声もあり、治水事業と自然保護が両立できる治水施設となることが望ましいと思っています。
 
関連事項  足尾銅山

排水器跡
寺院跡に咲く彼岸花(情緒漂う光景に心もいたみます)
 

排 水 器
 明治26年(1893)、当時下都賀郡長だった安生順四朗が排水器を購入し、谷中村内の湿地帯60haを水田化する計画を立てたが失敗。その負債が同村廃村の引き金になったといわれています。

(利根川上流工事事務所 作成)

(利根川ハンドブック)

案 内 図

 廃村直後の谷中村(竹澤釣蔵さんの仮小屋 明治41年12月)(栃木県史 史料編、近現代 九)


洪水時の雷電神社周辺(栃木県史 史料編、近現代 九)


所 在 地
管 理 者
建設時期


用途・目的
規   模
藤岡町・小山市・野木町(群馬県・埼玉県・茨城県)
国土交通省
大正元年(1912) 8月築堤工事に着手
大正7年(1918) 8月25日、渡良瀬川の 新川通水
大正11年(1922)の出水期までに完成
遊水地
面積:約 33k㎡(約3,300ha)
    東西約 6㎞ 、南北約 9㎞、周囲約 29㎞
総貯水容量:約 2億㎥ (中禅寺湖の約半分の容量)


参考文献
栃木県史・栃木県史編さん委員会
利根川ハンドブック・建設省関東地方建設局.栃木県他
利根川物語・高橋 裕
大利根百話・建設省関東地方建設局監修


目次に戻る 次はうずま川河岸跡へ