男体山の砂防工事

秋色の絶景を見せる男体山に、世界にもまれな雄大な治山事業
 いろは坂の途中から、あるいはロープウェー駅の明智平から、中禅寺湖の北にそびえる男体山を眺めれば、そこに、世界にもまれな雄大な治山事業が展開されています。
 この男体山の東南斜面の最も大規模な崩壊地である大薙は、今から約320年前の天和3年(1683)、豪雨をともなった大地震によって発生しました。それ以来、たえず大量の土砂を大谷川に流しています。
 この斜面の標高1300mより高い部分は林野庁が、それより低い部分は国土交通省が、砂防工事を昭和25年(1950)からずっと行っています。写真のように、それぞれの谷ごとに下方から砂防ダムを一つ一つ階段状に築いてきた苦労の結晶が、山腹一面に偉大なひな壇となってせりあがっています。
 しかし、すべり落ちる土砂とたたかっている砂防工事の展開は、強大な自然の力を相手にした、一見無力に見える人間の技術の挑戦であり、自然と人間との格闘の大舞台として、たぐいまれな感動的光景であります。
 最終的には、高さに応じて適した草木を植え、森林とすることが目標であり、年々少しずつ緑を加えつつあります。

(利根川百年史)
大薙山腹工
 日光国立公園内の自然美と土砂災害から人々を守るため、自然との調和に配慮しながら、谷止工・テールアルメ工・土留工(網柵工)・緑化工(植生工・植栽工)などのさまざまな工法を実施しています。
 すでに、木や草が生育しており、大薙が緑いっぱいの山に生まれ変わるのも、そう遠い日のことではないと思います。

自然と調和した般若沢下流砂防ダム  男体山頂上             (増渕靖裕氏 撮影
 
勝道上人が延暦元年(782)、苦心の末に男体山(二荒山)に登頂したのが始まりといわれ、ご神体の山頂遺跡からは、奈良時代以来の奉納物が多数出土しており、古くから山岳信仰の中心として崇拝されてきました。
天端標高 991.80m
高さ    13.5m
長さ    62.0m
       平成11年(1999)12月完成

案 内 図

所 在 地   管 理 者   
地    形     

用途・目的
施工状況
     
日光市(男体山東南斜面)
国土交通省
 標高1,075mより山頂2,486mに至る山腹をつらぬく、平均勾配28度、薙幅300m 〜400m、侵食深70m〜100mに及ぶ大放射谷。
山腹工
 昭和25年(1950)から工事に着手し、方等上流砂防堰堤を含め、砂防堰堤工・床固工・谷止工を合せて32基計画に対し、既に32基概成し、山腹工16.4ha計画に対し、11.5ha施工しました。 (平成14年度末現在)

参考文献
利根川百年史・利根川百年史編集委員会
利根川物語・高橋 裕
わたしたちの山と川 大谷川物語・砂防広報センター

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