両毛線の第一鉄橋

早春、水辺に遊ぶ子供たち
 両毛線は明治21年(1888) 5月、小山〜足利間が開通しました。両毛とは群馬県と栃木県の古代の国名、上毛野(かみつけぬ)と下毛野(しもつけぬ)からきています。
 昔から両毛地区は天産人工の富に恵まれていましたが、 惜しいことに運輸の便がまだ十分でなく、利根川水系の舟運などに頼っていました。特に足利は、東京・横浜への生糸・織物など、輸出品の集散地となっており、この地に運輸の便がないのは産業の壊廃に帰することでありました。それゆえ、両毛線は明らかに産業鉄道の色合いが強いのです。
 架橋工事は明治20年(1887) 8月から始められましたが、この年は降雨のたびに思川が増水し難航しました。橋脚は軟弱地盤のため、杭打ち基礎の上にレンガを積む工法がとられました。
 現在、河床の低下とあいまって老朽化が著しく、出水の際にはたびたび運転中止となり、住民に支障をきたしておりますので、河川改修計画にあわせ架け替え工事の具体化に向け検討しています。
 この橋をJRは「第一思川橋りょう」と呼んでいます。


両毛地域の産業・文化の発展に重要な役割を果たしてきた鉄橋

三角水切りの隅石飾りが堅牢な煉瓦造の橋脚
側 面 図


両毛線最後のSL            昭和43年(1968)
               (小山市史 史料編 近現代T)
案 内 図
所 在 地 
管 理 者
建設時期
用途・目的
規    模     
小山市島田(思川)
JR東日本
明治21年(1888) 5月22日開通
鉄道橋(両毛線、小山〜思川間)
橋長・単複の別:160.93m 単線
形式:上部工 デックガーダー 橋(7連)
    下部工 煉瓦造


参考文献
小山市史・小山市史編さん委員会
「おやま百景」ガイドブック・小山市景勝地選定実行委員会

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