日光杉並木街道


往時の大名行列の面影が思いうかぶ日光街道
日光市(旧今市市)瀬川にて
  世界に誇る日光杉並木街道は、日光東照宮の造営に由来しています。徳川家康の近臣であった松平正綱によっ て、寛永2年(1625)頃から始まり20年以上の歳月をかけて、約20万本の杉が植えられ、日光東照宮に寄進されたことによって日光杉並木街道が誕生しました。
 この街道は、国際観光都市「日光」に至る日光街道・ 例幣使街道・会津西街道の三つの街道からなり、総延長37q もある並木道です。古いものでは樹齢380年を超える杉の巨木が約12,500本も連なる壮大な並木で、我が国で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けており、ギネスブックにも世界最長の並木道として掲載されるなど、本県が誇る貴重な文化遺産です。
 しかし、この杉並木を取り巻く環境の悪化や、杉自身の老齢化により、毎年100本ほどが枯れており、このままでは近い将来、杉並木の景観が失われてしまうという危機的な状況にあります。
 県は、杉並木の保護を訴え続けた杉博士・鈴木丙馬元宇都宮大学教授の遺志を継いで、「日光杉並木オーナー制度」の導入や、杉並木保護用地の公有化・バイパスの建設・樹勢回復事業など、いろいろな杉並木街道保護対策を実施しています。
 まさに日本一の杉並木を大事にして、次世代に引き継ぐ精神が大切だと思います。

  世界に誇る美しく壮大な「緑の回廊」日光杉並木と日光連山(栃木県立博物館 提供)
杉並木寄進碑           
 
杉並木の起点となる神橋の所と、各街道の日光神領の境界となる、日光市(旧今市市)山口(日光街道)、同小倉(例 使街道)、同大桑(会津西街道)の四箇所に立っています 
 

日光杉並木オーナーの支援による樹勢回復事業の看板

日光杉並木オーナーの集合表示板


並木杉の梢端枯れ現象
 秋の「日光街道杉並木まつり」でパレードに参加した杉並木オーナー。



日光杉並木樹勢回復事業
 並木敷の表土が流出し、樹根が露出した個所を木柵や土のうを用いて黒土で盛土し、法面の土砂流出を防止します。  中空コンクリートブロック(ポカラ)を用いると、空洞内の土が固まらず根が広がるスペースができ、樹根の生育を助けます。        ((財)日光杉並木保護財団)

 太郎杉は、大木の風格ある姿で日光への客人を迎えてくれますが、その一方では、交通路のネックとなって交通渋滞が著しく、観光客も危険な状態です。




太郎杉裁判

 日光二社一寺の玄関口、神橋たもとの国道120号の交通渋滞緩和や事故防止を目的に、樹齢約550年、樹高約43m、幹回り約5.7mの「太郎杉」など老杉15本を伐採する道路拡張を国・県が計画。反対する東照宮は計画の取り消しを求めて昭和39年(1964) 8月、宇都宮地裁に提訴。 9年間にわたる訴訟となり、東照宮の全面勝訴。「自然の価値」が司法の場で認められ、環境問題の「先駆的な裁判」と位置づけられています。



所 在 地
管 理 者
並木杉の所有者
杉並木の誕生
用途・目的
規   模
日光市・日光市(旧今市市)
栃木県
日光東照宮

寛永2年(1625)頃から植栽を始め、慶安 元年(1648)4月17日完了(約20万本植える)
日光東照宮への参道に杉を植栽して寄進

杉並木の延長及び残存数の内訳は、次のとおりである。
(平成20年3月31日現在、県教育委員会文化財課調べ)
 
街 道 名 区        間 距  離 杉の本数
日光街道
(国道119号)
日光市日光〜日光市(旧今市市)大沢 19.2km 5,063本
例幣使街道
(国道121号)
日光市(旧今市市)今市〜日光市(旧今市市)小倉 13.9km 6,386本
会津西街道
(国道121号)
日光市(旧今市市)今市〜日光市(旧今市市)大桑 3.9km 1,028本
合    計 敷地面積             428,031.07u 37.0km ※12,477本
寄進碑所在地 日光市内(神橋畔)・日光市(旧今市市)山口。同小倉・同大桑
 前回調査(平成17年3月31日)時の杉の本数12,618本に対し、今回調査(平成20年3月31日)で12,477本となり、141本が老朽・倒木しました。
                     位  置  図


参考文献
日光杉並木街道・(株)アド・ディレクション
杉並木物語・今市市杉並木物語編集委員会
特別史跡・特別天然記念物 日光杉並木街道保護方策検討委員会報告書・日光杉並木街道保護方策検討委員会

とちぎ20世紀・下野新聞「とちぎ20世紀」取材班

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