神橋


新装あらたな古代の神秘をたたえる神橋
 日光国立公園の入口となる大谷川の清流に、古くから神聖な橋として架けられたのが神橋です。
 神橋はアーチ形の木造反り橋で、その構造から錦帯橋(山口県)・猿橋(山梨県)と並んで日本三奇橋の一つに数えられています。
 橋の起源は神護3年(767)に日光開山の祖、勝道上人が弟子とともに急流を前にした時に、「深沙大王」が現われ、青と赤の2匹の大蛇を放すと絡み合って橋となり、蛇のうろこに山菅が生え、渡りやすくなったということから「山菅の蛇橋」とか「御橋」とも呼ばれています。
 初期の構造は「乳(ち)の木」と呼ばれる橋げたを両岸の穴に埋め、補強材で支える「はね橋」形式でありましたが、江戸時代になって東照宮が造営されると、寛永13年(1636)に東照宮を始めとする日光山の表玄関にふさわしいように大造替が行われ、石造の橋脚に切石を用いて補強されました。
 この石造橋脚は、天正18年(1590)に京都の三条大橋などで始めて用いられたもので、当時の先端的な土木技術であり、早速神橋に取り入れたものです。この結果、新しい神橋の形式は一新され、木造反り橋として、ほぼ現在の朱塗りの形式となりました。
 昭和19年(1944)に国宝建造物に指定され、昭和25年(1950)には国の重要文化財に指定されました。
 さらに、平成11年(1999)12月2日、神橋など国の重要文化財94棟と、東照宮の陽明門、輪王寺の大猷院(たいゆういん)などの国宝9棟の計103棟が、「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。
 現在の橋は、明治35年(1902)の洪水で流されたのを、同37年(1904)に旧様式に従い再建したもので、その後、昭和31年(1956)一度解体修理をしましたが、老朽化が著しいため、今回の保存修理工事は前回以来の大改修となり、平成9年(1997)に始め、平成17年(2005)3月完成しました。
 平成17年(2005)4月20日から渡橋と下部構造が見学できる特別公開を行ってきましたが、平成18年(2006)11月30日に終了しました。日光二荒山神社によりますと、この期間中に約33万7000人が渡橋し、下部構造を見学したそうです。
 これからは、渡橋のみの一般公開となります。


石造の橋脚
流失した神橋跡

 
明治35年(1902) 9月28日、日光地方を襲った足尾台風によって、大谷川水源部に崩壊が多発し、洪水により神橋、大谷橋、人家100余戸を流失しました。
 全県被害:死者161名、行方不明63名、負傷328名、家屋全壊8,609戸、半壊516戸、流失4,120戸。(年表・栃木県のあゆみ)


神橋脇の道路に軌道の線路が延びていました。
(郷愁の日光)

日光電気軌道

 明治23年(1890)日本鉄道会社により、日光線が開通し、東京と鉄道で結ばれました。明治41年(1908)には日光電気軌道鰍ェ創設され、明治43年(1910) 8月10日、日光と岩の鼻(清滝と馬返の間)の運転を開始しました。さらに、大正2年(1913)には 馬返まで延長しました。
 その後、バス・マイカーの時代となり昭和43年(1968)には日光駅から馬返間の9.6kmが廃止となりましたが、それまで、地域輸送・観光輸送に活躍しました。
「日光の社寺」が世界遺産に登録された今日、環境にやさしい、レトロな路面電車の消滅は「良き昔」の思い出と、一抹の心残りを感じるのは私だけでしょうか。





 神橋のたもとを走る日光電気軌道200形203号、この車輛は汽車会社製のものです。(東武博物館だより・1995. 11. No 22)


(下野新聞社 提供

保存修理工事
 
工事は、日光二社一寺から委託された財団法人「日光社寺文化財保存会」と、保存会から作業を請け負った日光市内の業者によって行われました。
 江戸期の最高技術を結集して建造された「日光の社寺」の、伝統技術を継承している市内の職人集団によって、再び世界の脚光を浴びることでしょう.

 日光ならではの技術は、全国の文化財修復でも生かされており、日本の伝統技術をリードしています

立 面 図 (東 側)


平 面 図

所 在 地       日光市山内・上鉢石町 (大谷川)
管 理 者       日光二荒山神社
建設時期      大同3年(808) 下野国司の橘利遠が山菅橋を架け、
           以後16年目ごとに架け替える。
           寛永6年(1629) 架け替え
           寛永13年(1636) 造替工事(従来の様 式を一新)
           明治35年(1902) 9月28日 洪水で流失
           明治37年(1904) 再建
           昭和31年(1956) 解体修理
           平成13年(2001) 現在保存修理中
用途・目的     社参橋
規 模        橋長・幅員:91.80尺×24.40尺.(27.82m)×(7.39m)
           形式:木造反り橋、石造の橋脚



         立 面 図 (南 側)


(重要文化財 二荒山神社 神橋)
案 内 図


参考文献
日本の土木遺産(日本文化の象徴、近代化遺産を訪ねて)・石井一郎
重要文化財二荒山神社神橋・日光二社一寺文化財保存委員会
絵葉書に見る郷愁の日光(石井敏夫絵葉書コレクションより)・中川光喜解説
もうひとつの日光を歩く(隠れた史跡を訪ねて)・日光ふるさとボランティア

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