![]() 石造の橋脚 |
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![]() 神橋脇の道路に軌道の線路が延びていました。(郷愁の日光) 日光電気軌道 明治23年(1890)日本鉄道会社により、日光線が開通し、東京と鉄道で結ばれました。明治41年(1908)には日光電気軌道鰍ェ創設され、明治43年(1910) 8月10日、日光と岩の鼻(清滝と馬返の間)の運転を開始しました。さらに、大正2年(1913)には 馬返まで延長しました。 その後、バス・マイカーの時代となり昭和43年(1968)には日光駅から馬返間の9.6kmが廃止となりましたが、それまで、地域輸送・観光輸送に活躍しました。 「日光の社寺」が世界遺産に登録された今日、環境にやさしい、レトロな路面電車の消滅は「良き昔」の思い出と、一抹の心残りを感じるのは私だけでしょうか。 |
神橋のたもとを走る日光電気軌道200形203号、この車輛は汽車会社製のものです。(東武博物館だより・1995. 11. No 22) ![]() |
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![]() (下野新聞社 提供) |
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保存修理工事 工事は、日光二社一寺から委託された財団法人「日光社寺文化財保存会」と、保存会から作業を請け負った日光市内の業者によって行われました。 江戸期の最高技術を結集して建造された「日光の社寺」の、伝統技術を継承している市内の職人集団によって、再び世界の脚光を浴びることでしょう. 日光ならではの技術は、全国の文化財修復でも生かされており、日本の伝統技術をリードしています |
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立 面 図 (東 側) ![]() |
平 面 図 ![]() |
所 在 地 日光市山内・上鉢石町 (大谷川) 管 理 者 日光二荒山神社 建設時期 大同3年(808) 下野国司の橘利遠が山菅橋を架け、 以後16年目ごとに架け替える。 寛永6年(1629) 架け替え 寛永13年(1636) 造替工事(従来の様 式を一新) 明治35年(1902) 9月28日 洪水で流失 明治37年(1904) 再建 昭和31年(1956) 解体修理 平成13年(2001) 現在保存修理中 用途・目的 社参橋 規 模 橋長・幅員:91.80尺×24.40尺.(27.82m)×(7.39m) 形式:木造反り橋、石造の橋脚 |
立 面 図 (南 側) ![]() (重要文化財 二荒山神社 神橋) |
案 内 図![]() |
参考文献 | ||||
日本の土木遺産(日本文化の象徴、近代化遺産を訪ねて)・石井一郎 重要文化財二荒山神社神橋・日光二社一寺文化財保存委員会 絵葉書に見る郷愁の日光(石井敏夫絵葉書コレクションより)・中川光喜解説 もうひとつの日光を歩く(隠れた史跡を訪ねて)・日光ふるさとボランティア |
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