菖蒲ヶ浜発電所


静寂な樹林の中にひっそりと苔むした取水堰堤(地獄川ダム)
力式コンクリートダム
堤  高 : 5.15m
堤頂長 : 48.29m
大正 5年(1916)建設
 明治時代後年、国内鉱業開発が盛んになり、西沢金山においても菖蒲ヶ浜地点の水力発電を開発し、鉱山の電灯や索道(西沢金山より清滝荒沢の間)の電源を確保するため、西沢金山探鉱㈱が下野電力興業に依頼して、菖蒲ヶ浜発電所を建設しました。この初期の発電所は、現在地より西北約200mに建設され、水路は木製の樋で導水したという小容量発電設備でありましたが、大正5年(1916) 11月廃止となりました。
 現在の発電所は、西沢金山の電力需要に対応するため、地獄川に取水堰堤を設けて、大正5年12月に運転を開始しました。当時は西沢金山の専用線でしたが、その後、中宮祠・菖蒲ヶ浜・湯元地区の電力供給にも進み、昭和6年(1931)菖蒲ヶ浜電力㈱となり、発電所単独系統で地域の電力供給をしました。
 昭和17年(1942)に配電統制令により関東配電㈱に統合され、昭和26年には電気事業再編成により、東京電力㈱に統合されました。

水圧鉄管
延長 :99.090m
内径 : 1.515m


山の中腹に、今も残っている坑口
 
(望遠レンズ350mm)
  西沢金山全景
 
林道奥鬼怒線(愛称 山王林道)の「山王林道完成記念碑」より望む。



大正3年(1914)秋の鉱山町の風景
         
 [西沢金山大観 全(栃木県立図書館)]    



(左)写真の住宅跡
            
本当にここに町があったの

鉱山町であった当時の平面図

             
[西沢金山大観 全(栃木県立図書館)]
西沢金山

 この地、西沢は昭和初期まで金鉱石を産出し、国内外に名を轟かせた鉱山町でありました。最盛期には、年採掘量100kgを誇り、住民も1,300人を数え、学校、病院なども設置されていました。現状から当時を想像することは困難でありますが、林道沿いに住宅の基礎石積が見られ、ゴールドラッシュに沸いた面影がしのばれます。
 ここの金脈は外に露出しているものが多く、その数229ヵ所、坑道延長約12,000mで、「足ノ舞ヒ手ノ踏ム所ヲ知ラズ」と当時の報告文は伝えています。
   (山王林道愛護協議会・栃木県日光治山事務所)


案 内 図


所 在 地 
管 理 者 
建設時期
用途・目的
規   模            

日光市中宮祠
東京電力㈱
大正 5年(1916)12月発電開始
水力発電
形式 : 水路式
発電所最大出力 : 450kw
最大有効落差 : 40.90m
最大使用水量 : 1.39㎥/s
参考文献
栃木支店 水力発電史・東京電力(株)栃木支店水力発電史編集委員会
とちぎの電力・東京電力(株)栃木支店

西沢金山大観 全・梁木毅六識

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