うずま川岸跡


かっての綱手道は、格好の散策路になっています。
 栃木の街は、巴波川の舟運で開けたといわれます。河岸の起源は元和年間 (1615〜1623)、この頃から日光社参の御用荷物を輸送したといわれ、江戸からの上り荷物は、日光御用荷物をはじめ、塩・鮮魚類・ろう・油・黒砂糖・干しいわしなどが、江戸川〜利根川〜思川を経て、栃木の河岸に陸揚げされ、栃木からの下り荷物は、木材・薪炭・米・麦・麻・木綿・野菜・たばこ・猪鹿の皮・石灰・瓦などでした。
 舟は都賀船(米50俵積み)で部屋(藤岡町)まで下り、そこで高瀬船(米200〜300俵積み)に積みかえ江戸に向かいました。江戸までの船路は約43里(172q)あり、急ぎで3日ほど、普通は7日かかったそうです。帰りは帆を使ったり、かこ水主 2〜3人で舟につけた綱を、川岸に設けた「綱手道」から引き上げたりしました。
 舟運で街の回船問屋は栄え、明治末期から大正期にかけて、立派な土蔵や黒塀などが建てられました。
 その名残をとどめる蔵が、川面に映える巴波川は、綱手道が格好の散策路となっており、ここからの素晴らしい景観は、「蔵の街栃木」の観光スポットになっています。


 明治末期から大正期に建てられた、土蔵や黒塀などが連なる巴波川沿いの光景は、舟運の盛んであったころをしのばせます。                           
船着場の面影を残す平柳河岸跡
(下野新聞社 提供)

 大正2年(1913)頃の河合町開明橋下の筏流し
 
栃木町の背後地をなす山村から切り出された木材は、筏に組
まれ巴波川を下り、江戸深川の木場まで運ばれました。

 [河合町 茂櫛安可氏提供(栃木市史 通史編)]
明治20年(1887)頃の幸来橋界隈
 
巴波川のほとりには、船積問屋や豪商の倉庫がいらかをならべ、都賀(部賀)舟が就航していました。
 舟のうしろに見えるのが幸来橋です。

 
[片岡写真館提供(栃木市史 通史編)]
明治23出版 大日本博覧図栃木県之部
 
このエッチング絵図は非常に貴重な資料です。巴波川が満々と水をたたえており、平柳河岸では問屋の人々が「部賀船の荷物をおろしたり、米俵が積み込まれて、出荷を待っているところです。
 また、右手奥の例弊使街道には多くの商家が立ち並び、人々が活気にみちている様子がうかがえます。

    
(栃木の例弊使街道を考える会) 



所 在 地     
河岸の成立
用途・目的


栃木市泉町(巴波川)
元和年間(1615〜1623)
舟運
案 内 図

参考文献
栃木県史・栃木県史編さん委員会
栃木市史・栃木市史編さん委員会
目で見る栃木市史・栃木市史編さん委員会

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