鬼怒橋


鬼怒の清流に映えるトラスの風景
 鬼怒橋は、宇都宮市石井町を流れる鬼怒川に架かる橋ですが、この辺は、水戸黄門様が日光参詣のおり、水戸北街道を往来した時に通ったとか、東北本線が開通するまでは、茨城方面からの海産物はすべて仏の山を越えて、宇都宮に入ってきました。すでに、慶長3年(1598)には鬼怒川に渡船場があったと記されています。
 現在の石井街道は明治18年(1885)開通したもので、明治41年(1908)には、この橋の基礎工事に着工しましたが、橋脚の深さが表面から30尺(9.1m)下層部に築く工事は、排水作業などに手間取り、ようやく、大正4年(1915)に木橋が完成しました。材料は県内では見当たらず、主に秋田の杉と欅を用いましたが、僅か15年で腐食が進み、昭和6年(1931)橋脚を4尺(1.2m)嵩上げして、現在の鉄橋に架け替えられました。
 その後、清原工業団地などの躍進により、増大する交通量と車両の大型化にともない、石井町の中心部を迂回するバイパスが計画され、昭和49年(1974)新しく新鬼怒橋が完成し、国道123号は、栃木・茨城両県の県都を結ぶ経済・文化の大動脈として重要な役割を担っています。
 現在、JR宇都宮駅周辺と清原工業団地などがある鬼怒左岸台地を結ぶルートの、慢性的な交通渋滞を改善するため、新鬼怒川渡河道路の建設に着手しましたが、将来的には新交通システムの導入など、適切な機能分担により、総合的な交通体系を確立する必要があります。
 土木学会は平成22年度(2010)の土木学会選奨土木遺産に認定しました。選定理由は橋脚の煉瓦円形ウェルと迫石で補強されたアーチ状開口部を持つ切石積の意匠が素晴らしく、基礎工事に困難を極めましたが克服し、上部工は15連の下路曲弦プラットトラス(端柱垂直)の曲線を描いた鉄骨の造形が鬼怒川の清流に映える姿は壮麗で、当時の技術力と美意識が感じられるとしています。
 すでに県内では、平成14年度(2002)に晩翠橋が、平成17年度(2005)に宇都宮市水道施設群(今市浄水場戸祭配水場第六接合井)が、平成19年度(2007)に境橋が、平成20年度(2008)に黒川発電所の膳棚水路橋が、平成21年度(2009)には旧須花隧道(トンネル)が認定されています。いずれも、本ホームページに掲載しています。


 煉瓦円形ウェルと迫石で補強されたアーチ状開口部を持つ切石積の橋脚

新鬼怒橋
道路橋(一般国道 123号)
橋長・幅員:584.25m×(9.25m+9.75m)
    形式:上部工 連続合成鋼鈑桁橋10径間
       下部工(橋台)半重力式
           (橋脚)張出式
第1期工事 昭和49年(1974)完成
第2期工事 平成 2年(1990)完成

      木橋時代 (平石村郷土史)


鉄橋完成祝 (平石村郷土史)
所 在 地   宇都宮市石井町(鬼怒川)
管 理 者   宇都宮市
建設時期  大正4年(1915) 木橋
        昭和6年(1931) 現橋完成
用途・目的  道路橋(宇都宮市道3146号線)
規   模   橋長・幅員:559.40m×6.00m
        支間割:2×37.731m+13×37.226m
        形式: 上部工 下路曲弦プラットトラス橋
                  端柱垂直
            下部工 (橋台) 重力式
                 (橋脚)円柱式 煉瓦切石造



案 内 図


参考文献
宇都宮市史・宇都宮市史編さん委員会
平石村郷土史・黒川 今ほか編集委員
清原村郷土史・清原村役場

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